9月30日に文化庁が仕切り直しのアンケート(パブコメ)を開始した。今回はずいぶん低姿勢で、慎重に進めるつもりになったようだ。

日本漫画家協会との話し合いも進んでいるようなので、示されている文化庁原案よりも違法化の要件を広げて収束させることに、だいたい合意しているのかもとも思える。

しかし、まだ落とし穴がある。それは、この議論があくまで「私的使用のための複製」のことだからだ。その他の目的、たとえば研究目的での複製や、絵師が作画の参考にするための複製は範ちゅうに入っておらず、2月の著作権分科会の報告書では、研究目的については今後の検討に委ねることになっている。

知識や表現の生産のような「非物質的労働」においては、労働と余暇の区別が曖昧になる。これは認知資本主義論が教えるところだが(山本泰三編『認知資本主義』32頁)、「非物質的労働者」の実感と合っているだろう。

とくにエンタメ系の研究では、趣味で楽しんでいたことがいつのまにか研究になったり、研究ではあるけれども趣味としても楽しんでいたりで、私的使用と研究目的を区別することが不可能だ。しかし、現行法だと、録音・録画以外のものを違法なソースからDLすることは、私的使用のためならいいが、研究目的だと違法である。絵師が作画資料にするためのDLも同様なことがいえるだろう。

今回のアンケートにあたり文化庁が示した「文化庁当初案の考え方に関する資料(侵害コンテンツのダウンロード違法化)」という資料は、労働(非私的使用)と余暇(私的使用)を分離できるはずだという、「非物質的労働」では難しいことが前提になっている。具体的には、研究目的でスクショする行為などは、私的使用ではないので適法とはいえない。

ここでいう「研究目的」とは、大学の研究者だけが関係するのではない。とくにマンガ研究は「在野」の優れた研究が多い。「在野」であっても、「研究目的」である限り、資料にするためにスクショできる自由はない。

文化庁はこれを「寛容的な利用」という、(わたしの知る限り)日本では東大の田村善之教授が提唱してきた概念で乗り切ろうとしている。田村教授によると、「寛容的な利用」とは「権利があっても実際には権利行使されないために寛容されている利用」である(これの17頁)。

文化庁が「寛容的な利用」を(はじめて?)いいはじめたのは、ある意味画期的かもしれない。しかしそれはつまり、違法だけど権利者が問題視しないようなことは、違法にしておいていいでしょという態度を文化庁が取るということだろう。

著作権を司る官庁として、それでいいのだろうか?あいまいな「寛容的な利用」がなされることを予定した制度設計をして(今回の文化庁の姿勢はそうみえる)よいのだろうか?

田村教授は、「実際には権利行使されないと人々が信じているからこそ、寛容的利用が行われる」(これの17頁)といっている。権利行使するかどうかは、権利者の胸三寸だ。それでも人々は権利者を信じていなさいと文化庁はいっている。

違法なソースを複製することが必要ならば、権利者の許諾を取れとも文化庁はいう。だが経験的に、また常識的にいって、そんなことを権利者の法務が許諾してくれる見込はない。

では、こう考えてみてはどうだろうか。どのみち私的使用と研究目的ははっきりわけられないのだから、最初から研究目的ということで「寛容的な利用」にすればどうなるだろうか。それを私的使用だといってしまうと、違法と知ってDLすることが違法になってしまうことになるから。

今回の文化庁の説明資料には、こんなすごいことも書かれてある。

なお、権利制限規定については、一般的に、直接の利用場面のみならず、その前段階における準備行為としての複製(引用であれば、引用が想定される資料の収集)についても、必要かつ合理的と認められる限度 であれば許容されるものです。このため、例えば、著作権を侵害するコンテンツがインターネット上にアップロードされている場合に、それを一旦ダウンロードした上で、その問題点を指摘する論文等に当該コンテンツの一部を引用することは許容され得るものと考えられます。(ここの12頁

将来の引用の準備としてならば、(必要かつ合理的ならば)違法なソースからDLしても許容されうるとの見解が示されている。(しかし、適法だとは決していわない。)

研究目的の例外新設の議論は9月18日の法制・基本問題小委員会でようやくはじまったところだが、今年度は自由討議と調査、来年度以後に「例えば,ニーズが高い部分,正当化根拠が明らかな部分,権利者の利益への影響が比較的少ない部分などを切り出して先行的に措置を行い,その後,その他の部分の措置について検討を行う,といった段階的な対応を行うことも考えられる」と、迅速に検討される気配はまるでない。

また、文化庁は「違法な情報源から積極的に便益を享受しようとするユーザーの行為に正当性はない」という、「新見解」を取り下げていない(これの11ページ)。これが誤りであり大問題であることは、明治大学知的財産法政策研究所の検証レポートにあるとおり。

ならばいっそのこと、文化庁も認めた「寛容的な利用」というものをきちんと定義し、法制化したらどうだろうか。たとえば、「寛容的な利用」とは「権利者の利益を不当に害しない場合」のことだとか。

すぐにできることは、9月30日からはじまったアンケートに、原作のまま一定のまとまりでDLする場合と、権利者の利益を不当に害する場合を民事の要件に加え、刑事には有償著作物であることと、反復継続性を要件に加えることなどを書き、それを私的使用のための複製だけでなく、他の目的のための複製に対しても適用することを検討課題とするよう、意見を寄せることだろう。

もうひとつ、このパブコメアンケートの質問紙設計には問題がある。「1.基本的な考え方」(海賊版対策と萎縮防止の両立)は、ふつう反対しにくい。そして「2.懸念事項及び要件設定」で聞かれていることは、文化庁原案で問題ないと整理されていることばかりだ。もし「とても懸念される」が多数になっても、「ほらみろ、国民はやっぱり誤解している」と片づけることができる。

文化庁原案の問題は、どのようにしたら萎縮が防げるかの手立ての部分であって、そこを尋ねるところを自由記述という、専門家でないとハードルが高い質問紙設計にしている。

もっとダイレクトに「原作のままでないもののDLは可とすべきか?」「一定のまとまりでないDLは可とすべきか?」「権利者の利益を不当に害しないDLは可とすべきか?」などと聞くべきではないだろうか。

昨年度の文化審議会著作権分科会の報告書(これの71ページから)では、「更なるユーザー保護のための対応の選択肢」を(ア)から(カ)まで整理してあるのだから、それぞれの可否をアンケートで聞くのが筋ではないのか?

もっとも、それだと文化庁原案には都合の悪い結果になるだろうけれど。