あるコラム投稿記事(2022/4/28修正;2022/5/10追記:こちらから読めます)のことがTwitterでいくつか流れてきたので、もとの文章(末尾の文献)を確認した。それは、元国立国会図書館(NDL)司書で歴史学者の方が書いた短いコラムだ。

コラム投稿記事の要点はこうである。著作権保護期間が満了した著者の著作にネット公開されていないものがあるのでNDLに問い合わせた。その結果から、以下のような状況だという。

・当該ネット非公開著作物には、校正者と索引作成者への謝辞がある。奥付に名前がなくても彼らも著作者として扱っている。

・当該著作物には他の文献からの引用(15行程度)が含まれているので、その文献の著者の保護期間も考慮している。

・ネット公開する資料はすべて、全ページをめくって上記のことを確認している。

以上のことが事実だとすればだが、驚愕というしかない。

NDLは「ネット公開できない理由」をとことん探しているのだろうか。そしてその理由たるも、相当に無理筋だと思う。

なぜ校正者や索引作成者が奥付には入らないのか? それは彼らは当該書籍の著作者ではないからだ。(校注者が奥付に入ることはよくあり、その場合は校注者も著作権者になりうる。)

校正者や索引作成者だけでなく、編集者や世話になった同僚、家族への謝辞を書くことはよくある。それを書いたせいで自著が「孤児作品」になり、ふたたび日の目をみることがなくなれば、草葉の陰の著者も、謝辞を献じられたひとびとも悲しむだろう。

また、引用の正当性は、著者と出版社が責任を負うものである。ましてや、著者の没後50年は経っている書物だ。引用をめぐって紛争があった書物ならばあらかじめわかるはずだし、正当でない「引用」を含む古い本をネット公開したからといって、公共のために非営利でやっているNDLをとがめるひとはあるまい。もし指摘があれば、notice and take downで済むことではないか。

ましてや、引用の有無と分量、謝辞を確認するために全ページをめくるなど、「ブルシット・ジョブ」のさいたるものだろう。人的資源=税金の無駄遣いだ。

無理筋の理屈にもとづく手順のために税金を使って、ネット公開できるはずの昔の資料をお蔵入りにしている。それは著作権法が目的とする「文化の発展」にはならないのではないか。

NDLのやり方を、他の図書館が参照する可能性は大いにある。しかしこれを真似しようとすると、デジタルアーカイビング事業は頓挫するだろう。

NDLはこんな無駄なことをすぐにやめ、お蔵入りにしている保護期間満了著作物を広くネットで公開するべきだと思う。

参照文献

浜田久美子「デジタルコレクションの著作権処理について」『図書館雑誌』116(3), 2022, 146頁。

2022.6.14追記

このエントリに関し、NDLの担当の方から情報提供がありました。それによると、「1.索引等で著作物に当たらないものについては著作権を考慮する必要はないこと、2.公正に引用された箇所については当該箇所の著作権保護期間が満了している必要はないことを前提に、デジタル化資料のインターネット公開の可否を判断すること」にし、令和4年4月から試行的に新たな方針で著作権処理をしているそうです。詳細は「JLAメールマガジン」第1090号に寄稿されているとのこと。