今期の文化審議会著作権分科会法制度小委員会の報告書案が、1月18日までパブコメにかかっている

「簡素で一元的な権利処理」「損害賠償額の算定方法の見直し」に注目が集まっている陰で、「研究目的に係る権利制限規定の創設」に幕が下ろされようとしている。

昨年2月にこのブログに書いたように、課題の設定もニーズ調査もピント外れのことを繰り返し、結局「[今後進められる法改正等]によっても解決されない支障や新たなニーズがある場合に、必要に応じて検討を行うこととする」と片づけられてしまった。

何がピント外れかというと、研究目的の利用のニーズを成果の公開段階に限定してしまったことだ。

経験からいうと、研究成果公開の場面では「引用」で問題のないことがほとんどである。何が「引用」で許諾不要なのかの知識が十分でないため、不必要な許諾を取ろうとして困ってしまうひとが多い。公開段階での著作権対応としてもっとも必要なことは、「引用」についての正しい知識の普及だろう。

研究目的の著作物利用でもっともグレー、すなわち合法か違法かと聞かれたらおそらく現状は違法なことが多いのは、成果の公開段階ではなく、資料の収集段階なのだと強く言いたい。

典型的には、テレビ番組/CM研究である。私的使用のための録画ならば、ダビング10はあるものの、権利制限規定があるので合法的にできる。ところがそれがテレビ番組/CM研究のためならば、私的使用ではないので、おそらく違法になる。

はじめは私的使用のために安心して録画していたものが、ある時期に研究資料にしようと思った途端、おなじ行為が違法になってしまう理不尽さがおわかりになるだろうか。

また昔のテレビ番組/CMのなかには、個人の録画でしか残っていない映像が少なくない。それらを研究目的で無許諾で複製することは、厳密に言えばダメなのだろう。

研究コンプライアンスの観点から言えば、テレビ番組/CMを研究のために無許諾で録画・複製することははばかられる。膨大な録画のための使用料や補償金を払える研究者はあるまい。そうなれば、研究分野自体が成り立たなくなる。

法改正に関わる法学者のかたがたは、判決文や裁判資料の利用が例外規定で認められているので、上記のような困難に対する実感がないのだろうか。たとえていうならば、判決文や裁判資料についての例外規定がない状態に置き換えて考えてみてほしいものだ。

おそらく、研究目的の権利制限規定の創設は、当面の検討課題からはずされるのだろう。しばらくは権利者の胸先三寸の「黙示の許諾」に期待するしかないのだろうか? それで研究の自由は守られるのだろうか? 研究コンプライアンスとの関係は?

いろんな意味で残念すぎる。