今年6月からはじまる図書館から個人へのデジタル化資料のメール送信等の補償金額が、書籍の場合でページ単価の10倍、新聞・雑誌は最初のページが500円で2ページ目から100円(それに図書館の手数料を加算)になることが、図書館等公衆送信サービスに関する関係者協議会で決まったとの報道があった(2023.5.22追記:正確には協議会で協議し、図書館等公衆送信補償金管理協会が認可申請した)。

「図書館資料のメール送信制度、利用者の負担金額は「ページ単価の10倍」に」讀賣新聞オンライン、2023年3月27日。

(2023.3.29追記:本日の朝日新聞記事によると、補償金が500円を下回る場合は500円に、送信できるのは原則、著作物の半分までになる見通し。)

協議会のメンバーはここにあるように、業界団体側が19団体、図書館側とみられるのが9団体、利用者の利益代表はゼロと、著作権がらみの会議では毎度の偏りだ。

この金額でもメール送信を利用したいというひとは、いったいどれだけいるだろう?

この新制度は、コロナで各地の図書館が臨時閉館になり、資料にアクセスできなくなった状況がふたたび起きても大丈夫なようにするために、「知的財産推進計画2020」(p.68)で方針が出され、2020年末から21年はじめにかけて文化審議会のワーキングで検討し、2021年の通常国会で著作権法を改正してできたものだ。

改正法では、著作権が存続し「絶版等」にもなっていない資料図書館でデジタル化して利用者にメール等で送信することを、利用者が補償金を支払うことで可能にした。(2023.3.29注記:著作権保護が終了したものと、著作権が存続しているが絶版等で入手困難な資料については、国立国会図書館から個人に無料送信されている。)

その補償金額は、「権利者の遺失利益を補填できるだけの水準」とされている。そして具体的な金額を上記協議会で検討し(2023.5.22追記:管理協会が申請し)た結果が、ページ単価の10倍だというのだ。

この金額なら、たしかに遺失利益を補填できるかもしれない。しかし、なぜそれが2倍や3倍ではなく10倍にもなるのか? 利用者からみたら、補填が過剰なのではないか。

(2023.3.29追記:文化審議会著作権分科会での補償金の審査は非公開にされたので、議事録も公開されない。何か後ろめたいことでもあるのか?)

(2023.5.22追記:使用料部会関係の議事は非公開とする決定が2003年にありました。

(2023.4.1追記:文化庁からの正式リリースはこちら。それによると「同補償金規程(案)は制度の運用実績がない中で当初に適用するものとして検討されたものであることを踏まえ、……必要な場合には同補償金規程(案)附則第2項に定めるように規程の実施の日から3年が経過する前においても適時に見直しを検討すること」とある。このままでは困ると思ったら、見直しを求める声をあげることが大事かと。)

この新制度を強く要望したのが、コロナで図書館が閉まって研究ができなくなった若手研究者らだった。彼/彼女らは「図書館休館対策プロジェクト」を組織して緊急アンケートを行い、意見をまとめて各方面に働きかけた。

この補償金額に、彼/彼女らは納得するだろうか? ページ単価の10倍ということは、書籍の1/10以上を送信してもらうならば、新刊で買ったほうが安いことになる。

次の感染症が来てふたたび図書館が閉まったとき、論集の1論文だけ確認が必要な場合でも、本自体が買えるほどの金を払えと、収入が不安定な非常勤講師や学生・大学院生にまでいっているに等しい。

彼/彼女らの研究はやがて書籍や新聞雑誌記事になり、業界団体構成社の「商品」にもなろう。それなのに、未来の書き手を苦しめ、ときには研究を断念させしてしまうことになるとは思わないのだろうか?

図書館側にしても、書籍ごとに異なる補償金額を確認して料金を徴収し、スキャンし、管理情報を埋め込んで送信し、指定管理団体に報告と送金をしと、相当な手間がかかる。図書館が取る手数料はどうなるかまだ情報がないが、人件費の実費に加えて設備投資分ならけっこうな額になるだろう。オーダーしてからファイルを受け取るまでの時間も、即時とはいかないだろう。

(2023.2.29追記:図書館から指定管理団体への報告には、管理情報なしバージョンのPDFを別に作って送らなければならない。[この送信を可とする法的根拠は何だろう? 2023.5.22追記:著作権法第 30 条の4が根拠なのかも])

平時なら、それだけの金額払ってまで利用する必要は、あまりないのではないか? いままで通り、図書館へ行ってコピーをするか、ILLで紙コピーを取り寄せて自分でスキャンしたほうが、はるかに安価だ。

つまり、この補償金額は、せっかく法改正してできるようにしたことを、関係者(≒業界団体)が障壁を作って実質的に使えないものにする、骨抜きにするものだ。

この光景には見覚えがある。2018年の著作権法改正で、国立国会図書館のデジタル化資料に海外の図書館からアクセスできるようにしたときに、やはり関係者協議会によって高い参入障壁(日本語正文の契約書、紛争時の管轄裁判所条項、現地弁護士などの承認、司書による利用者の常時監督など)が設けられてしまって、参加が難しいものにされてしまった(現在まで参入できたのは世界中で6館に留まる)。

(参考:当Blog「国会図書館の海外デジタル送信が絵に描いた餅になってしまう」)

集めた補償金の管理と分配にも疑問が残る。

補償金の管理団体として、「「一般社団法人図書館等公衆送信補償金管理協会(SARLIB)」が設立され、認可された。SARLIBは、業界団体を中心とする14団体で構成されている。

この団体は、集めた著作権をどれくらいきちんと分配してくれるのだろうか?

先行する「授業目的公衆送信補償金等管理協会(SARTRAS)」においても、集めた補償金を必ずしも十分には分配できていないという報道がある。

たとえば、論集の場合は、デジタル化のあった個々の論文の著作者のレベルで利用を把握し、その情報とともに管理協会→業界団体→出版社へと分配してくれるだろうか? また、出版社は著作者にどれだけまじめに還元してくれるだろうか? 分配額が少額なため中間手数料で消えてしまい、著作者には一円も届かないことだって考えられる。

およそ10年前、アメリカの大学で客員として研究していたときは、文献複写を自宅からオンラインで図書館にオーダーしたら、翌日にはPDFがサーバーにアップされ、それをダウンロードすればよかった。利用者として個別に料金を徴収されることはなかった。

いろんな仕組みが異なるので一概に比較はできないが、10年前のアメリカにはすでにそういう環境があった。驚きとともに、これでは研究の効率の面で、日本は勝負にならないと思ったものだ。

あれから10年後の日本の研究環境は、どうやらあの水準にも達しそうにもない。